ラボエーム 第1幕

クリスマスイブの寒い夜でした。
パリの街は色とりどりのイルミネーションが輝いていて、街ゆく人々も鮮やかな衣装を身にまとっている人、大きなプレゼントを抱えている人が彩りを添えていました。南東部一帯であるカルティエラタンも、いつもは芸術家や学生であふれていましたが、今夜は所狭しと軒を並べているカフェの中から、にぎやかな声が聞こえてきます。
その片隅、石造りのアパートの屋根裏部屋で、詩人のロドルフォと、画家のマルチェルロは寒さのあまりふるえていました。

「なにか燃やすものはないのか?」
「あったらとっくに燃やしているよ。まきも、炭もすべて底をついているよ」
「あーなんてこった。外はクリスマスイブでこんなに賑やかだと言うのに」
屋根裏部屋には、他にも音楽家のショナール、哲学者のコリーネの4人で住んでいましたが、まだまだ売れない芸術家たちだったので、とても貧しかったのです。
「こうなったら、夢を燃え上がらせようじゃないか!」ロドルフォは言いました。
「夢って、もしかして。。」マルチェルロは自分の描きかけの絵をみて心配そうに言います。
「油絵なんて燃やしたら臭くてたまらない。こいつを燃やすのさ」
ロドルフォはそういいながら、自分の書き上げた戯曲の原稿を取り出しました。
「世の中にとっては大変な損害になるがな」
ストーブに入れられた原稿は鮮やかな光を放ちながら燃えていきます。二人は明るく燃えていく原稿の束をまるで本当に戯曲を聞くようにうっとりと眺めていました。
半分投げやりになりながらロドルフォは原稿を次々とストーブの中へと入れていきました。
そこへ哲学者コリーネも帰ってきて、火が燃えているのに驚きましたが、一緒にストーブの周りへ腰掛けました。
一瞬、火の勢いが増し、薄暗かった部屋がぱっと明るくなりました。
「今、この弱々しい青い炎の中、燃えるような恋の場面が繰り広げられているんだ」ロドルフォは言いました。

 部屋のドアが開き、盛大な笑い声と共に、ショナールが帰ってきました。それもたくさんの飲み物や食べ物を抱えて!
「どうしたんだ、いったい」
「ははは、一仕事終えてきたんだよ。その仕事というのはな」
ショナールは興奮冷めやらぬ、と言った感じで、大げさなジェスチャーを加えながらしゃべりはじめました。
「ある英国紳士から頼まれたんだよ。オウムに音楽を聴かせてやれ、と。オウムが死ぬまで演奏し続けろと言われた。そこでおれは三日三晩弾きつづけたよ。そして3日目の夜」
「どうしたんだい?」
「そのオウムにパセリを食わせたのさ。オウムの奴、おいしそうに食べて。。。御陀仏さ」
事も無げに言うショナールでしたが、3人はすっかり目の前のごちそうやワインに気を取られて心を奪われて、満足な相づちを打つのも忘れていました。
「なんて奴らだ!外では楽しそうにみな女性たちと過ごしているというのに。よし、乾杯だけして食事はカルティエラタンに繰り出すとしようじゃないか」

久しぶりのワインを堪能している所へ、ドアをノックする音が聞こえました。
「こんにちは、みなさん。家主のベノアですが」
「やばい!」四人は危うくグラスを落としそうになりました。
「あの、家賃がだいぶたまっておりますので、払っていただけないかと。。。」
「どうする?」
「居留守を使え」
「よし、俺に良い案がある」とマルチェルロは言い、ドアを開けました。

おずおずと入ってきたベノアに皆いすを差し出したり、ワインを差し出したりして存分におだて始めました。
「かまわないで下さいよ。それより3ヶ月分の家賃が・・・」
「そんなことよりベノアさん、この間マビユでお楽しみだったようでしたよ。やるじゃないですか!」マルチェルロはベノアの肩をたたきながら言いました。
「え、いや、偶然なんですよ」しどろもどろになりながらベノアは答えました。
「すごい美人だったじゃないですか」
「え、まあね。へへへ」
だいぶ酔いが回ってきたベノアは調子の良い調子で答えました。
「なんてこった。うらやましい」みな口々に言って、ベノアをあおっていきます。
「私は若い頃おとなしかったから、今になって埋め合わせをしてるんですよ。陽気な子が好みでねえ。ちょっと太った、でも満月のような顔はごめんですよ。適当にやせている、というのが一番だめでねえ。やっかいで気苦労が多くていけません。特にうちの女房のような・・・」

「なんだって!妻がいるのに、この男はみだらな奴だ!」
マルチェルロが憤慨したように立ち上がり、他の3人もまねておおげさにたち振る舞います。
「恐ろしい奴だ」
「こんな奴部屋に入れるな!」
「私は、その・・・」
「黙れ!」
「追い出せ」
「黙ってでていけ。それではおやすみなさいませ、旦那様」
アハハと笑いながら4人はベノアを追い出すことに成功しました。

「さあ、カフェモミュスに出かけよう!」

ロドルフォは締め切り前の原稿が数行残っていたため、一人で残ることにしました。5分だけ待ってやる、と仲間たちはアパートの入り口で待つことにしました。
一人で仕事に取りかかったロドルフォでしたが、にぎやかな街を思うとなかなかはかどりません。少しイライラしながら机に向かっているとコンコン、とドアをノックする音がしました。
(誰か迎えに来たのかな)と思いながらドアを開けるとそこにはとても美しい女性が立っていました。
辺りはとても暗かったのですが、それでもハッとするような美しさで、しかしながら顔は青ざめていました。
「すみませんが、ろうそくの火を頂けませんか?」女性は言いました。
「構いませんが、どうぞ中へ」ロドルフォは部屋の中へ招き入れました。
女性は落ち着かない風で、すぐにでも帰ろうとしていましたが、少し苦しそうに咳をして、その場に座り込みました。
あやうく支えながらロドルフォは、
「大丈夫ですか?」と尋ねました。
「ええ、階段を急いできたものですから。でも大丈夫」
女性は恥ずかしそうに、「それでは」とドアを開けてでていきました。

「あら、まあなんてことでしょう、鍵がないわ」
「どうしました?」
「すみません、部屋の鍵を落としてしまったようなんです。本当に迷惑な隣人ですね」と言った女性をロドルフォは再び招き入れました。

階段に吹き込んだ風のせいで、せっかく付けたろうそくの火も消えていました。
「こちらへきて探しましょう」
とロドルフォは言いました。すきま風は彼の手にあったろうそくの火も消してしまいました。

部屋の中は窓から差し込む月明かり以外は暗闇になりました。静まり返った暗闇の中、二人は床に跪きながら手探りで鍵を探し始めました。

「あっ」ロドルフォが短く声を上げました。
「見つかったのですか?」
「あ、いいえ」あわてて答えると手にふれた小さな鍵をそっと、ポケットに入れました。
なおも探し続ける女性の元へロドルフォは探すふりをしてそっと近づき、手を重ねました。
ハッとする二人。
女性の手はとても冷たくてか細かったのです。

「なんて冷たい手なんでしょう」ロドルフォは言いました。
「私に暖めさせていただけませんか?こんな月の光だけの暗闇じゃあ、鍵はみつかりっこありません。しばらく待っていただけませんか?私のことをお話しする間・・・」
ミミは黙っていました。
「私は詩人です。いろいろ書いてるんですよ。貧しいけど、楽しい生活の中で、私は王侯貴族のようにもなれる。夢と空想の描くお城の中で、私は億万長者の気持ちにだってなれる。
時々、私の二人の泥棒、つまり美しい目が、私の中の宝石を盗んでいく。
いまもあなたと入ってきた、そのときに私の夢や希望はすっかりあなたに奪われてしまった。でも悲しくないんですよ、なぜなら、あなたのおかげでここがとびっきり希望の住処となったからです!」
ロドルフォは語りました。
「あなたのことも教えていただけますか?」ロドルフォは女性を見つめました。

少しためらいがちに女性は語り始めました。
「私はルチアといいます。でもみんなはミミと呼ぶの。なぜだかわからないけど。
私は家で刺繍をしているんです。薔薇や百合を縫っているとととても幸せな気分になれます。
空想したり夢を描いたりして、それは詩なんですけど、そういうことが好きなんです。」
ミミは続けます。
「毎日一人で食事をします。寂しいけど、雪解け後の最初の太陽の光は私のものよ。四月になれば、私の育てている薔薇や花々はつぼみを開いて、とても良い香りを運んでくるでしょう。。
ああ、私が自分のことをこんなにしゃべるなんて、もうないかもしれないわ」
一気にしゃべって、ミミはほっと息をつきました。

「おーい、なにをしている。遅いぞ。一人でなにやってるんだ」
階段の下からコリーネの声が聞こえました。
「一人じゃないんだ。二人なんだ。すぐに行くから先にモミュスにいって席を取っていてくれないか」
ロドルフォは言いました。
察しのよい仲間たちは、ロドルフォに何か良いことが起こったのだ、とわかりました。

「うるわしい乙女。私がいつも夢見ている夢があなたであることがわかったよ」
ロドルフォはミミと向かい合いながらいいました。そして軽い口づけをしました。
「あの、お仲間が待ってるんじゃありません?私・・・」
「なんだい?言ってごらん」
「私もご一緒させてもらってもいいかしら?」ミミはささやくように言いました。
「もちろんだとも。愛してるよ」
「私も。」
二人は、腕を組みながら仲間の待つカルティエラタンへ行くのでした。


ラボエーム 第2幕

「オレンジだ、ナツメも、チョコレートもあるよ」
はしゃぐ子供達の声が雑踏の中聞こえてきました。
いつもならたしなめる母親達も、この夜ばかりは、華やかなイルミネーションの中、色とりどりの品が並ぶ露店に目を奪われて、心は浮きだっていました。
あちこちから明るい笑い声が聞こえてきます。
先に向かっていたマルチェルロ、ショナール、コリーネも、また後からやってきたロドルフォとミミもそれぞれ露店をぶらぶらのぞきながら、クリスマスイブの街を楽しんでいました。

コリーネはみかけた古着屋の外套が気になるようでした。ショナールは古道具屋で音のはずれたラッパを手に取りながら、商人をからかっていました。
ミミが「私は、帽子がみてみたいわ」
といったので、ロドルフォとミミは帽子屋へと足を運びました。そこにとてもかわいらしい薔薇色のボンネットがあるのを見つけ、ミミは一目で気に入ったようでした。
ロドルフォはそんなミミをうっとりとした目つきで眺めていましたが、逆にミミが自分ではなく、群衆に目を向けるだけで、(いったい誰をみてるんだ)と思うのでした。
カフェに着いたロドルフォとミミは、仲間達の待っている席に案内されました。
「こちらがミミだよ。縫い物をしている嬢さんで、この人が入って僕たち仲間は完成するんだ。なぜなら僕は詩人でミミは”詩”なんだ・・・」照れくさそうに紹介すると仲間達は口々に祝福しました。

「おもちゃ屋のパルピニョールだよ!」
そんなちょっと調子外れの歌を歌いながら、パルピニョールがたくさんのおもちゃを抱えてやってきました。
「パルピニョールだ!パルピニョールだ!ラッパが欲しい、お馬が欲しい」
「タンバリンが欲しいよ!太鼓も、兵隊も」
子供たちは一目散にパルピニョールの周りに集まってきました。自然と人の輪がカフェモミュスの周りに作られました。

仲間たちは、それぞれ、ショナールの持ってきたお金をあてにしてロブスター、ワイン、七面鳥などを頼み始めました。
マルチェルロが
「ミミ、ロドルフォになんかプレゼントをもらったかい?」と聞くと、ミミは
「ええ、薔薇色のボンネットを。私が欲しいと思っていたものよ。それをこの人はちゃんとわかってしまうのよ」と答えました。
そんな二人を、「そりゃすごい!」と仲間たちはからかって楽しんでいました。

そこへ、山のようにプレゼントを抱えた老紳士を従えて、美しい女性がやってきました。
周りの人々は
「ムゼッタだ。あんな得意げにめかしこんじゃって」
とひそひそ話しています。
「まったくこれじゃあ荷物の運び人じゃないか」荷物を抱えた老紳士、アルチンドロは嘆きながらさっさと行ってしまうムゼッタの後を、よろよろとついていきました。
そんなことなど気にしない風に、ムゼッタと呼ばれた女性はアルチンドロをまるで子犬を呼ぶように声をかけながらオープンカフェの席へ腰掛けました。

そんな様子を見て、マルチェルロは急に不機嫌になりました。
ミミが「あの方をご存じなの?」と聞くと
「ああ、あいつはムゼッタ。名字は誘惑だ。風見なやつで、恋人をコロコロと変えるんだ。そして人の心を食べちまう。俺の心もね・・・」
ムゼッタの方も自分に気づいているはずなのに無視するマルチェルロの態度にイライラします。そして
「なにこの皿は。肉臭いじゃないの!」ガチャーン、とテーブルの上に置かれた皿を派手に割ったのでした。

(なんで無視するのよ!振り向いてよ)
イライラするムゼッタをアルチンドロは必死になだめようとしますがムゼッタの関心は全く他にあって相手にされません。
カフェの周りにいる人々も
「あんな小言の多い老人相手に、大変ね、ムゼッタも」と嘲笑しています。
たまりかねたムゼッタは、席を立ち、マルチェルロを見据えて、大声でしゃべり始めました。

「私が道を歩いてるとね、みんなが振り返るのよ。頭のてっぺんからつま先まで私の美しさに見とれてしまうのよ」
さらに続けます。
「私はそういう視線を浴びると体中が熱くなるの。人々の私の美しさを引き出すような熱い視線を浴びて、私は楽しくて仕方がなくなるの。
そしてあなたもね。私のことを必死に忘れようとしているけど、忘れられなくて苦しんでいるのは知っているのよ!」

そんな様子を見てミミは言いました。
「あの方はまだマルチェルロのことを愛してるのね」
それを聞いたロドルフォは言いました。
「彼女の方からマルチェルロを振ったんだよ。いい生活をするためにね」

「もう、静かにしなさい」アルチンドロはたまらずムゼッタに小言を言い始めます。
「うるさいのよ、私は私のしたいようにするの!うるさくしないでよ!」
ムゼッタはなんとかしてこの老紳士から逃げ出そうと考えました。そして
「あー痛い!」とみんなが振り返るほどの悲鳴をあげ、足を見せました。

そんな様子を見ていたマルチェルロは
(私の青春。まだ終わってはいなかった。もし彼女が僕の心の扉をたたいたら・・・僕の心は開いてしまうに違いない)とまだ自分の恋が終わってないことに気づくのでした。

「もう痛いのよ!なんとかして。新しい靴を買ってきてよ。早く!」
騒ぎ立てるムゼッタに、アルチンドロは周囲の目に耐えきれないように、そそくさと靴を買いに行ってしまいました。
仲間たちはこのまるで仕立て上げられたような芝居に歓声をあげます。

そして、ムゼッタとマルチェルロは見つめ合い激しく抱き合うのでした。

そこへ、ボーイが勘定を持ってきました。その金額をみて、仲間たちは驚きます。調子に乗っていろいろと注文してしまいまいたがとても払える金額ではありませんでした。
「いいわ、私の勘定も合わせて」ムゼッタがボーイに言います。
「私の連れが払うと言ってるわ」
アルチンドロに払わせる魂胆でした。
「そりゃいい!」仲間たちは喜びました。

カフェの前では、軍隊たちが鼓笛隊を引き連れてパレードをしています。それにつられて、まだ足の痛いムゼッタを肩に担ぎ上げてマルチェルロは勝利のパレードをしました。

靴を買ってきた、アルチンドロは席にだれもいないのに気づき、ボーイから渡された勘定をみて、椅子に座り込むのでした。

ラボエーム 第3幕

あれからしばらくたちました。
市場へ物を売りに来る農民たちが、門の開くのを待っています。
ここはパリの少し郊外で、夜はまだ明けていません。寒さの厳しい中、門兵は、かじかんだ手を暖めようと白い息を吹きかけていました。
近くにあるバーからは女性たちのにぎやかな笑い声が聞こえてきます。
「門兵さん、あけてくれよ、俺たちはそうじ夫だ」
「わかった。今行くよ」門兵たちは、あくびをしながら門を開けます。

時を知らせる鐘が鳴り響きました。
「もう牛乳屋の来る時間だ」
牛乳売りの女性たちは、重い荷物を荷車に乗せてゆっくりと門をくぐって来ました。
「おはよう。今日はバターとチーズと、卵です。あんたたちはどこに行くの?またお昼にあえるわね。それじゃあ」
互いに挨拶をしながらそれぞれ市場へと向かっていきました。

しばらくすると、陰からミミがやってきました。プラタナスの木のところまでやってくると、激しく咳をしました。しばらく木に支えられるようにたたずんでいましたが、落ち着くと、門兵に声をかけました。
「すみません、この辺に画家のやっているバーがあると思うのですが」
「そこだよ」
門兵は先ほどから美しい歌声や笑い声が聞こえていたバーを指さしました。

ミミがそのお店へと近づくと、店の中からちょうどマルチェルロが現れました。
「ミミ!いったいどうしたんだい!」マルチェルロは驚きました。
「ここなら会えると思って。」
「ああ、僕らはひと月前からあそこでやっかいになってるんだ。ムゼッタは客たちに歌を教えている。僕は店の壁へ絵を描いたりしてるんだ。
寒いよ、中へお入り」マルチェルロは促しましたが、ミミは拒みました。
「私を助けて、マルチェルロ。ロドルフォは嫉妬の嵐なの。一輪の花にほほえみかけても嫉妬するのよ。夢で私がなにを見てるか夜中に探っているの。そしてどなるの。私は疲れ切ってしまったわ。私はどうしたらいいの?」
「そこまでなってしまったら、ふつうは一緒には暮らせないね」マルチェルロは言いました。
「そうなの、私も別れるべきだとは思ってるの。でも、どうしてもできないの。」
「わかった。今、奴は店にいるよ。夜明け前に来てね。カウンターで寝ているんだ。起こしてみるよ」
店では、ロドルフォが目覚め、マルチェルロを探しているようでした。
「まずい、ここで面倒を起こされては困るんだ。いいからミミはお帰り」
マルチェルロはミミを帰るように言って、店の方の様子をうかがいました。ミミはプラタナスの木陰に隠れました。

ロドルフォが店から出てきました。
「俺はあいつと別れるよ。」
「そんなにコロコロと気が変わるもんか」マルチェルロは言いました。
「彼女に出会って俺の死んでしまっていた心は甦った。でも今はもううんざりなんだ。あいつはひどい浮気性でね。金持ちの男が彼女に色目を使ってくる。すると彼女はスカートを翻してさも脈のありそうなそぶりをするんだよ」
ロドルフォは吐き出すように言いました。
「俺はおまえが本当のことを言ってるとは思えないな」マルチェルロは言いました。

「ああ、そうなんだ。隠せないな。本当は俺はミミを愛している。この世のすべてのものにましてだ。でも心配なんだ。彼女は病気なんだ。それも日増しにどんどん弱っていく。彼女はもうだめなんだよ」
「ミミが?」マルチェルロは驚きました。
そして、木陰で聞いていたミミも、自分の病気がそんなにひどいことを初めて知り、(自分は死んでしまうの?)と驚きを隠せませんでした。
「俺の部屋は、吹きっさらしで火も満足にない。彼女は朗らかに歌うが、俺が彼女を殺してしまうようなものなんだよ。」
ロドルフォは苦しそうに言いました。
「それじゃあどうするんだい?」
「ミミは温室の花だ。貧しさの中では枯れてしまう。愛だけでは不十分なんだよ!」

ミミはすすり泣き、咳き込みました。
「ミミ!なんでそんなところにいるんだ!俺が言うことを聞いてしまったのか・・」
マルチェルロも驚き、なんてかわいそうなことをしてしまったのだろう、と悔やみました。

バーの中からムゼッタの笑い声が聞こえ、マルチェルロは男性の客と仲良く歌っているのをみて「あの浮気女め!」と言いながらあわてて店の中へ入って行きました。

「さようなら」ミミは言いました。
「なんだって!行ってしまうのか!」
「ええ、私は一人で自分の巣に帰ります。引き出しの中に、金の腕輪とお祈りの本が置いたままだけど、誰かに取りに行かせるから、まとめておいてね。
そして、枕の下に、薔薇色のボンネットがあるわ。それは私たちの愛の想い出にとっておいて欲しいの。
さようなら。恨みっこなしね」
「本当に行ってしまうんだね。僕の愛しい人。愛の夢はもう終わったんだね・・・」

店の中からムゼッタとマルチェルロが言い争いながらでてきました。
「なんだい、なにをしていたんだ、あの紳士と。」
「なにが言いたいのよ!」
「俺が来たときおまえの顔色が変わったじゃないか!」
「ええ、ただ『お嬢さん、一緒にダンスをしましょう』と言われただけよ」
「この浮気女め、うぬぼれるな!」
「私はただ答えただけよ『昼も夜も踊りたいだけよ』って」
「その言葉には変な意味が込められてるんだろ!」
「なによ、別に私たちは教会で式を挙げたわけじゃないのよ!亭主面しないでよ
私は自分の思うとおりにしたいの。思うとおりに恋をしたいのよ!」
「ごきげんよう!」二人は言いながら、ムゼッタはどこか知らないところへ、マルチェルロは店へと去っていきました。

ミミとロドルフォは、今までの想い出を語りながら、冬に別れるのはあまりにも寂しいので、春の暖かな日差しのもと、小鳥たちのさえずりを聞きながら別れることにしました。

ラボエーム 第4幕

あれからまた数ヶ月が経ちました。
パリの街にもようやく春の日差しが訪れ始めた頃です。
再びあの屋根裏部屋に戻ってきた、ロドルフォとマルチェルロは以前のように、ショナールやコリーネと共に貧しいけれど楽しい生活を送っていました。
けれども最愛の女性と別れてしまった二人の心はいつもそぞろで、熱心に仕事に打ち込んでいるふりをしながらも、思い出の品を眺めたりして思いにふけることがありました。

「そういえば、この前ムゼッタをみたぞ。二頭立ての立派な馬車で制服を着たお供までいた。俺は『やあムゼッタ、心はどう?痛まない?』と聞いたら『ええ、おかげさまで鼓動していないか、それを感じないの、このビロードのおかげでね』だとさ」
「そりゃ良かった。鼓動していないなんてなによりだ」マルチェルロはおどけたように言いました。
(こいつ、気のない振りをして。苦しんでるくせに)ロドルフォは思いました。

「そういえば、俺もミミをみたぞ。女王様のように着飾って馬車に乗っているんだ」とマルチェルロが言いました。
「そりゃ良かった。万歳だ」ロドルフォもまた、おどけたように言いました。
(こいつめ、恋い焦がれているくせに)マルチェルロは思いました。
「さあ、仕事をするぞ」二人は口々に言いましたが、結局、手に着きません。

ドアが開き、買い出しに出かけていたショナールとコリーネが戻ってきました。ロールパンがたった4つですが、テーブルの上に並びました。
4人はふざけてお芝居を始めます。
「さあ、子爵、シャンパンをどうぞ」と水の入ったびんを傾けます。
「さあ、今夜は舞踏会だ」みんな立ち上がり、それぞれダンスをし始めました。そのうちエスカレートして、コリーネとショナールは火ばさみを持って決闘のまねごとを始めました。
ロドルフォたちも二人をあおって楽しんでいます。

急にドアが開き、あわてた様子のムゼッタが入ってきました。
「ムゼッタ!どうしたんだい!」マルチェルロは驚いて言いました。
「ミミが・・ミミが来ているんだけど。具合が悪くて、階段の途中で耐えられなくなってしまったの」
あわててロドルフォは階段を下りミミのそばへ駆け寄りました。ゆっくりとミミを抱きかかえると部屋の中へ連れ入れ、ベッドに寝かせました。
「ロドルフォ」弱々しくミミはつぶやきました。
「もうしゃべらなくていいよ」
「私はあなたと一緒にいていいの?」
「ああ、僕たちはいつまでも、一緒にいるんだ」ロドルフォは言いました。

「ミミは子爵のところを逃げ出してきたの。それを人づてに聞いてね。探して彼女が体を引きずるように歩いていたのをやっとみつけたの。そして私にこういうのよ『私はもうすぐ死んでしまうの。あの人のところで死にたい。あの人待っているわ・・・』って。」ムゼッタは仲間たちに言いました。

「なんだか気分がいいわ」ミミは言いました。
「部屋を見せてね。ああ、ここはなんて素敵なんでしょう。生き返るようだわ。」
ムゼッタたちは、ミミのために何か用意しようと思いましたが、ここにはなにもありません。飲ませてあげるものすらありませんでした。情けなくてたまらない気持ちに皆なっていました。
「手がとても冷たいわ。マフがあればいいんだけど。この手はもう暖まらないのね」ミミがつぶやきました。
「僕が暖めるよ。疲れるからもうしゃべらないで」ロドルフォは心配そうに言いました。
周りを見回したミミは、みんなの顔を懐かしそうに眺め、挨拶をしました。そして
「ムゼッタは本当に良い人よ」とマルチェルロに言いました。
「わかってる、わかってるよ」マルチェルロはミミの手を握りながら何度も言いました。

ムゼッタは、マルチェルロに自分の耳飾りを渡し、何か薬を買ってくるように頼みました。そして自分も自分のマフを取りに行きました。

コリーネは、あのクリスマスイブの日、古着屋で見つけたお気に入りの外套を手に取りました。
その外套はとても古い物で、それまで使っていた人の想い出がすべて詰まっていました。お金に替えられる物と言えばこれしかないコリーネは思い立ったように部屋から出ていきました。
なにも売る物のないショナールはせめて二人きりにさせてあげようと、静かに外にでました。

「みんなでていったのね。二人きりになりたかったから寝た振りをしていたの」ミミは言いました。
「あなたに話したいことがたくさんあるわ。たった一つだけど海みたいに大きくて、深くて限りないこと。あなたは私の命のすべてよ」
「ああ、ミミ!愛しいミミ!」ロドルフォは嘆きました。
「私はまだ美しいかしら」
「日の出の様に美しいさ」
「それはたとえが間違っているわ。沈みゆく夕日の様に美しいって・・・」ミミは言いました。

そして、あの日、出会ったときの様に、自分のことを語り始めました。懐かしい気持ちでいっぱいになったロドルフォは想い出のボンネットを取り出しました。
「まあ私のボンネットだわ!
あなたは覚えている?初めて私がここに入ってきたときのこと」
「もちろん覚えているさ」
「明かりが消えて、私は鍵をなくして、そしてあなたは手探りで探し始めた」
「ああ」
「ふふ、今だから言うけど、あなたはすぐにそれを見つけたわね。暗くて私が赤くなっていたのは見えなかった。『なんて冷たい手、私に暖めさせて下さい』といってあなたは私の手を握ったわ」

そこまで言うとミミは激しく咳き込みました。
「もう黙ってミミ!」ロドルフォはあわてて言いました。その声を聞いてショナールも入ってきました。
「大丈夫、なんでもないのよ」ミミは言いました。
マルチェルロ、ムゼッタ、コリーネもそれぞれ戻ってきました。ムゼッタはミミの手にマフをはめてあげます。
「まあ、暖かいわ。これで色が変わることもない。きれいにしてくれるわ。ムゼッタがくれたの?ありがとう。
なぜ泣いてるの?私はとても具合がいいの。手が暖かくて・・・そして眠るわ・・」
「医者はどうだったんだ?」ロドルフォは尋ねました。
「もう来る頃だよ」マルチェルロは答えました。

部屋の片隅でムゼッタは
「マリア様。この不幸な娘に、今死ぬべきではないこの娘にお恵みを与えて下さい。そして元気になれますように。
この私はお許しをいただく資格はございませんが、ミミは天使のような娘なんです」と祈り始めました。

ベッドに近づいたショナールはミミが息をしていないことに気づき、マルチェルロにそっと言いました。
窓辺にいたロドルフォ以外は皆その様子にはっとしました。

振り返ったロドルフォは仲間たちの異様な雰囲気に気がつき
「どうしたんだ。そんなに行ったり来たりして。なぜそんな風に俺をみるんだ!」
「落ち着くんだ」マルチェルロはロドルフォを支えました。
ベッドに走り寄ったロドルフォは
「ミミ!ミミ!ミミ!」と慟哭するのでした。